0907
メディアミックス、文字から見るか?映像から見るか?~「君の膵臓をたべたい」を巡って~ 
…とまぁタイトルに書いた通り、先週から始まったアニメ映画「君の膵臓をたべたい」を観てきたわけなんですが。結論から言ってしまうと、なんかノリきれなかった、と言うか、妙に醒めた目で見てしまって、なんだかなぁ、という気分。原作小説を先に読んでしまったのは失敗だったかなぁ、なんてことを思った次第です。
よせばいいのに、好奇心に負けて、映画公開直前に原作買ってきて読んじゃったんですよ。とはいえ、機会があればもっと前に読んでいたかもしれなかったですけど。先に公開されてた実写映画版の頃に、自称読書家としてもちょっと気になってはいたものの、予告編を観て、「ケッ、安易に人の死で感動を取ろうとするリア充向けのやつかよ」なんて思って、まぁ正直言ってバカにしてましたね。自分だって「AIR」とか「CLANNAD」みたいに人の死がドラマを生むアニメやゲームで泣いてたオタクなのにね(笑)。
いざ読んでみるとこれがぐいぐい引き込まれて、一昼夜で読み終えてしまいました。ホントバカにしてごめんなさい、って恥じ入りましたね。友情とか恋、というレベルにとどまらない、対照的だからこそ惹かれ合う二人の生き方。そのどちらかだけを肯定するのではなく、それぞれに人から必要とされる面があるということ。ここ数年来自分の生き方に疑問を抱えてきた私にとって、そのような見方、人生観もあるのか、と光明を投げかけてくれたようにも感じました。人との関わりを避けて、本の世界に安住の地を求める主人公の姿に自分を重ねすぎたのかな、なんて気もしていますが(^_^;)
…などとやたら感銘を受けてしまったのがかえってよくなかったのかもしれません。映画(アニメ版)自体は全然良かったんですよ。画も綺麗で、ストーリーも要点をしっかり押さえてうまいこと2時間にまとめてあったし、作中にも取り上げられた「星の王子さま」の要素を取り入れた終盤の演出はなるほど、と唸らされました。ピアノとストリングス主体の劇伴も自分の好みにしっくりでした。
なのに初めに書いたようにどうもノリきれなかったのは、原作への思い入れが過剰になり、映画への期待も過剰になってしまったためかな、という気はしています。加えて、今回はストーリー自体にも終盤に期待を良い?意味で裏切るひと捻りがあるだけに、初見での嬉しい驚き(個人的には小説、アニメ、映画を問わずこれがあるエンタメが好きです)を感じられなくなっていたのはマイナス要因だったように思います。
あとは、原作で自分の好きだった要素が映像化の際にオミット、まぁそこまではいかなくとも薄くなってしまうと、ちょっと醒めてしまうところもありますね。「君の膵臓をたべたい」で言うと、主人公とヒロインのやり取りに、原作ではラノベを思わせるような軽妙さ、テンポの良さがあったんですね。今となってはやや古い例えなのかもしれませんが、ハルヒとキョンのような、エキセントリックなヒロインにツッコミつつ振り回される無気力系男子、という構図にも見えて、そうしたラノベに慣れ親しんできた身には馴染みやすいものでした。そうしたやり取りの他愛もなさこそが、ヒロインの求めた「日常」感を引き立てる演出ともなり、その後の展開とのギャップ(無論いい意味で)を際立たせていたように感じました。これも自分の好きな要素だったのですが、アニメではその辺の軽妙さは抑えめで(この辺りは主人公役の高杉氏もパンフのコメントで言及していました)、個人的には物足りなさを感じてしまった部分ですね。
…などと思いながら映画館の帰り道、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」にも同じような印象を抱いたことを思い出していました。
この作品、原作ではちょっと不思議な自動手記人形ヴァイオレットが起こす心温まるストーリーの連作短編、といった趣で始まり、話が進むにつれ明らかになっていく彼女の過去、そして愛を探す彼女の物語へと収斂していく、というものでした。謎が解き明かされていく感覚も含めてこの流れを私は凄く気に入り、読後にはtwitterで「アニメもこれはBDマラソン確定や!」と高らかに宣言していたのですが、いざアニメ版が始まると大いに戸惑いました。いきなりヴァイオレットの過去の話から始まり(時系列で言えばこの方が整理されてはいるのですが)、「え?いきなりネタバラシしちゃうの?」と困惑してしまいました。アニメとしては文句のつけようがないほどの出来だったにもかかわらず、原作で好きだった要素が見事にオミットされてしまい、素直に楽しめなくなってしまった自分がいました。結局録画はしたものの5話ぐらいまでしか観ずに今に至っています(^_^;)
今回「君の膵臓を~」を観て、つくづく、こういったメディアミックス作品をどう楽しめばいいのか、と考えさせられることとなりました。情報量の面では映像より文字媒体の方が多い―特に映画となると尺の都合などで情報量にはおのずから限度がある―場合も多いので、映像を先に見て、そこだけでは読み取れなかった情報の補完も兼ねて小説を、という順番の方が良かったように、特に今回の場合には感じています。この方法が上手くいったのは、去年の「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」の時でした。昔のドラマ版も未視聴だった自分は予備知識ゼロで映画を観て、こりゃぁ難解だわい、と小説版を補完として読んで理解を深めたものでした(完全に理解したとは言っていない/笑)。
そう言えば一昨年の「君の名は。」の際には、小説版に加えて、まさに補完のためのサイドストーリー小説まで刊行されていましたね。
もっとも、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」に関しては、原作小説が出てからアニメの放映までだいぶ時間がかかったので、この方法は物理的にも無理があったわけですが。その辺りはもはや運というか賭けというか(笑)。
逆に、自分の経験でも、「Another」では原作を先に読んでいても、アニメで具体的な映像となったことでより楽しめた(原作時点では己の想像力でしか補えなかったものが具現化された)、ということがありましたので、いよいよこれもうわかんねぇな(笑)。
…とここまで長々ととりとめもなく考えてきましたが、ともあれ、今回良い作品に巡り合えたのは確かです。作中の言葉を借りるなら、それも「自分で選んで」得られたものなのだと思います。
ま、もう1回観に行けば今度は原作との違いにも気を取られることなく純粋に楽しめるかな、という気はしています。変に気負いすぎてもよくないですが(^_^;)。あとは実写版も1度観ておきたいですね。
「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」ももう1回きちんと観なくちゃね。
よせばいいのに、好奇心に負けて、映画公開直前に原作買ってきて読んじゃったんですよ。とはいえ、機会があればもっと前に読んでいたかもしれなかったですけど。先に公開されてた実写映画版の頃に、自称読書家としてもちょっと気になってはいたものの、予告編を観て、「ケッ、安易に人の死で感動を取ろうとするリア充向けのやつかよ」なんて思って、まぁ正直言ってバカにしてましたね。自分だって「AIR」とか「CLANNAD」みたいに人の死がドラマを生むアニメやゲームで泣いてたオタクなのにね(笑)。
いざ読んでみるとこれがぐいぐい引き込まれて、一昼夜で読み終えてしまいました。ホントバカにしてごめんなさい、って恥じ入りましたね。友情とか恋、というレベルにとどまらない、対照的だからこそ惹かれ合う二人の生き方。そのどちらかだけを肯定するのではなく、それぞれに人から必要とされる面があるということ。ここ数年来自分の生き方に疑問を抱えてきた私にとって、そのような見方、人生観もあるのか、と光明を投げかけてくれたようにも感じました。人との関わりを避けて、本の世界に安住の地を求める主人公の姿に自分を重ねすぎたのかな、なんて気もしていますが(^_^;)
…などとやたら感銘を受けてしまったのがかえってよくなかったのかもしれません。映画(アニメ版)自体は全然良かったんですよ。画も綺麗で、ストーリーも要点をしっかり押さえてうまいこと2時間にまとめてあったし、作中にも取り上げられた「星の王子さま」の要素を取り入れた終盤の演出はなるほど、と唸らされました。ピアノとストリングス主体の劇伴も自分の好みにしっくりでした。
なのに初めに書いたようにどうもノリきれなかったのは、原作への思い入れが過剰になり、映画への期待も過剰になってしまったためかな、という気はしています。加えて、今回はストーリー自体にも終盤に期待を良い?意味で裏切るひと捻りがあるだけに、初見での嬉しい驚き(個人的には小説、アニメ、映画を問わずこれがあるエンタメが好きです)を感じられなくなっていたのはマイナス要因だったように思います。
あとは、原作で自分の好きだった要素が映像化の際にオミット、まぁそこまではいかなくとも薄くなってしまうと、ちょっと醒めてしまうところもありますね。「君の膵臓をたべたい」で言うと、主人公とヒロインのやり取りに、原作ではラノベを思わせるような軽妙さ、テンポの良さがあったんですね。今となってはやや古い例えなのかもしれませんが、ハルヒとキョンのような、エキセントリックなヒロインにツッコミつつ振り回される無気力系男子、という構図にも見えて、そうしたラノベに慣れ親しんできた身には馴染みやすいものでした。そうしたやり取りの他愛もなさこそが、ヒロインの求めた「日常」感を引き立てる演出ともなり、その後の展開とのギャップ(無論いい意味で)を際立たせていたように感じました。これも自分の好きな要素だったのですが、アニメではその辺の軽妙さは抑えめで(この辺りは主人公役の高杉氏もパンフのコメントで言及していました)、個人的には物足りなさを感じてしまった部分ですね。
…などと思いながら映画館の帰り道、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」にも同じような印象を抱いたことを思い出していました。
この作品、原作ではちょっと不思議な自動手記人形ヴァイオレットが起こす心温まるストーリーの連作短編、といった趣で始まり、話が進むにつれ明らかになっていく彼女の過去、そして愛を探す彼女の物語へと収斂していく、というものでした。謎が解き明かされていく感覚も含めてこの流れを私は凄く気に入り、読後にはtwitterで「アニメもこれはBDマラソン確定や!」と高らかに宣言していたのですが、いざアニメ版が始まると大いに戸惑いました。いきなりヴァイオレットの過去の話から始まり(時系列で言えばこの方が整理されてはいるのですが)、「え?いきなりネタバラシしちゃうの?」と困惑してしまいました。アニメとしては文句のつけようがないほどの出来だったにもかかわらず、原作で好きだった要素が見事にオミットされてしまい、素直に楽しめなくなってしまった自分がいました。結局録画はしたものの5話ぐらいまでしか観ずに今に至っています(^_^;)
今回「君の膵臓を~」を観て、つくづく、こういったメディアミックス作品をどう楽しめばいいのか、と考えさせられることとなりました。情報量の面では映像より文字媒体の方が多い―特に映画となると尺の都合などで情報量にはおのずから限度がある―場合も多いので、映像を先に見て、そこだけでは読み取れなかった情報の補完も兼ねて小説を、という順番の方が良かったように、特に今回の場合には感じています。この方法が上手くいったのは、去年の「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」の時でした。昔のドラマ版も未視聴だった自分は予備知識ゼロで映画を観て、こりゃぁ難解だわい、と小説版を補完として読んで理解を深めたものでした(完全に理解したとは言っていない/笑)。
そう言えば一昨年の「君の名は。」の際には、小説版に加えて、まさに補完のためのサイドストーリー小説まで刊行されていましたね。
もっとも、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」に関しては、原作小説が出てからアニメの放映までだいぶ時間がかかったので、この方法は物理的にも無理があったわけですが。その辺りはもはや運というか賭けというか(笑)。
逆に、自分の経験でも、「Another」では原作を先に読んでいても、アニメで具体的な映像となったことでより楽しめた(原作時点では己の想像力でしか補えなかったものが具現化された)、ということがありましたので、いよいよこれもうわかんねぇな(笑)。
…とここまで長々ととりとめもなく考えてきましたが、ともあれ、今回良い作品に巡り合えたのは確かです。作中の言葉を借りるなら、それも「自分で選んで」得られたものなのだと思います。
ま、もう1回観に行けば今度は原作との違いにも気を取られることなく純粋に楽しめるかな、という気はしています。変に気負いすぎてもよくないですが(^_^;)。あとは実写版も1度観ておきたいですね。
「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」ももう1回きちんと観なくちゃね。
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Posted on 2018/09/07 Fri. 01:57 [edit]
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